日本映画黄金対談
今村昌平監督
第1回 |
『楢山節考』『うなぎ』と2度のカンヌ映画祭グランプリに輝いた今村昌平監督。カンヌ映画祭の歴史上でも4人目、日本人では今村監督だけという世界が認める巨匠です。今回はその今村監督をお招きし、ベストライフオンラインの奥山社長との対談が実現しました。
お目にかかった今村監督はあくまで飄々とマイペースな方。過去の作品のこと、ご自身が運営されている日本映画学校のこと、そして今後のご予定などを、日本映画界の展望も含めてお伺いしました。じっくりとお読みください! |
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| 『キューポラのある街』の中で |
奥山:いっぺん今村さんにお目にかかって、今の日本の映画のことをお聞きしたいし、私も何らかの形で映画に関連した仕事をしてみたいと思っていたもので、本日は応じて下さいましてありがとうございました。
今村:いえいえ・・・。
奥山:今、監督が気にしておられること、一番関心があることというのはどういうことですか?
今村:テレビの上のことでいうと、北朝鮮の問題が一番大きいですね。我々の気持ちに深くひっかかっています。
奥山:というと、仕事の関連ですか?
今村:になるんだろうと思います。
奥山:はぁ・・。それはどういう脈絡かわからないんですけれども。
今村:『キュ−ポラのある街』(1962)でシナリオライターとして書いておりまして、それで暮してたんですけれども。
奥山:随分、初期ですよね。
今村:当時は食えなかったんで・・。その中で、“北朝鮮は天国のような大変良いところだ”とデタラメを書いてた。
奥山:あははは。
今村:だから今、堪えてるんですよ、アイタ・・と思っとるんですよ。
奥山:なるほどね・・・。 |
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| 今村監督が映画業界に入るきっかけになったのは・・・? |
奥山:先ほどテレビの話が出ましたが、監督はテレビとは関係の少ない監督だと思っているのですが。
今村:そうですね。
奥山:ドキュメンタリーを撮られたくらいでしょ。
今村:そうですね。
奥山:それは、何かテレビというものに対して、監督なりの一つのご見識があったわけですか?
今村:ほんとは芝居をやりたかったんです。芝居の方に大きく傾いておりましてね。学生の頃から芝居を、と思ってたんですよ。
奥山:松竹に入る前からですか。
今村:はい。学生時代、下宿をしておりまして、そこに何故か小さな証券会社に就職していた先輩がいたわけなんですよね、その人がいろんなところにコネクションがあるある、と言うんですね。そこで私が“松竹に受験したいと思っとります”と言いましたら、“それはいけない”と言うんですね。
奥山:いけない?ほぉー・・・?
今村:受験するにしても、コネクションは無し、というのはどうにもならないよ、てなことを言って脅かすんですよ。で、野村證券のナントカさんっていうのを知ってるから、そこに案内してやるよ、と言われましてね。
奥山:ほー、親切な先輩ですな。
今村:いろいろ聞かれましたけどね、僕は証券会社のこと、何にも知らないから、ご挨拶だけ、という感じで行ったんですよ。そしたら、あまりに何も知らないので、びっくりしてたみたいですよ。
奥山:ははははは・・。しかし、そんな感じで、映画会社に入られたわけですが、でも出られるのも早かったですね。
今村:そうですね。
奥山:あれは、日活の創生期、設立の時に行かれたんですか。1954年だったと思うのですが。
今村:ええ。僕は、ほんとは東宝に行きたかったんですけどね。というのは、黒澤
明に憧れましてね、ああいう人になりたいな、とね。
奥山:ああ、そうですか。
今村:で、なんとなく東宝と思ってたんですね。でもその頃、大学を出る頃にですね、試験がなかったんです、東宝の。
奥山:採用してなかったんですか、東宝は。争議の後はもう立ち直ってたんでしょうけどね。
今村:まだ争議中でしたよ。
奥山:争議中でしたか。組合が強かったんかなあ・・・。 |
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| 2003.08.06掲載 |
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